お通夜です

 2時頃に祖母の親戚筋である伯父さんが近くの駅まで来たので迎えに出る。小父さんには式の最中2日間、実家で留守番を頼んでいたのだ。 奥様の方は式に出てくれている。
 3時過ぎに車で式場に向かうと、練馬の伯母さんが真っ先に来ていた。墓苑の真ん中にあるお堂の部屋で式を行う。 本堂の真ん中でやる予定だったが、別なスケジュールがあってできんかった。 設営の追い込みであったが、花輪…花輪ではなく花台のメンバー札の兄の名前が間違っていて、土壇場で書き換え。 あー可笑しい。 
 親戚がどんどん集まってくる。 もう何年も合ってない親類がいっぱい居て、子供だったのが、もう働いていたりしてるモンなぁ。 女の子だったのが、すっかり大人になってしまってて。エェなぁ〜思ってみても、今度結婚するとか言う話が出てて(2組ほど)、途端に興味がすすれてどーでも良い物に見えてゆく。 父方と母方の親戚では全くの初顔合わせの人がいるので、これもまた珍しい光景だった。
 式の前に控え室でお坊様に会って、戒名を付けるにあたってのミーティングをする。親父が生前に自己流で考えた戒名とか、著書とかを眺めながら、セオリーにそった、仏教上の名前を考えますとかいろいろお話しする。 この時点でお坊様には御布施を奮発しました。 生前は「密葬で良い!」とか言っていたけど、急だったからそれも出来ない。…実際にそれでやったら、親戚から非難ゴーゴーだったろうな。

受付は兄の会社の人たちと、姪のなっちゃんに手伝ってもらいました。 なっちゃん、昔はプクプクしてたのに、今は女子大生ですか…スリムになったね。バイトの鬼なんだって。

 母の姉妹が式台両脇のバスケットのフルーツを、缶詰のフルーツセットに変えたことを、ちょっとブチっていたが、生果は痛むから変えました。 親戚以外の参列者や、早めに戻る人達に挨拶するために受付で挨拶していたら、食事を食べそびれた。時間が無くてあまり戴けなかったのが残念。
 
 その本 ナピンダン工場―フィリピンにおける工場建設の一年
式中、母がオイオイ泣き出したらどうフォローしようかと思ったのだが、それは無かった。ま、入院中の、特に末期の弱弱しかった親父の姿を見てるほうが、よっぽど切なかったけどね。
 チャリンコで病院を往復していた日々も終わりか。 ま、一度は病院に挨拶しに行かないと。