父還る

朝10時頃、母から電話がある「病院から様子が悪いからすぐ来てくれって呼ばれたから、あんたスグ行って」と言うので、まぁ解った。といつもの事かと思い…もう何度か病院に呼ばれて「お父さんのココん所が悪いからこんな治療しています」の説明かとおもった。母もそう思っていたらしい。 ま、朝飯と洗濯が終わったら行くかな〜程度におもいそうしていたが、今度は病院から電話があって「お父様の事でスグ来てください」とあわてた調子で言われ、こりゃイカンと思い、洗濯物を急いで済ませてチャリを漕ぎ。
 病室に着くと「間に合いましたね」といわれる。 親父は目と口を半開きにしたまま、顔はピクリともしていない。呼吸をしている動きが全然無かった。が、バイタルモニターは僅かながら数値を刻んでいるので、生きてはいるみたいな。 医者は「一度危なくなって、強心剤を点滴注入して、救命措置をしました」と言う。 腕を持ち上げてみたりして、嫌がることをやってみると、メーターが大きくなる。まだ感覚があるみたいだが、体温が徐々に冷たくなっていった。いろいろ動かしたり、「おーい、母さんもうすぐ来るよ」とか、看護士も呼んだりした。 そうこうする内に、メーターがフラットになってアラームが鳴る。医者が聴診器を当てる。 12日12時16分に息を引き取った。78歳でした。
 さっき来た時と、死んだ後は見た目大差無い感じである。 曲げたままの足を伸ばしてかっこうを直そうとするが、のびきらない。 目も開いたままだ。 身体に横着していた装置類がてきぱきと外され、看護士達が親父の身づくろいを始めた。

ロビーの公衆電話から、兄の携帯に電話を掛けて伝える。 ちょうど昼飯始めた頃だtったそうだ。 あとはこちらに向かってる母を出迎えるのと、朝からロクに飲み食いしてなかったので、病院表玄関で缶コーヒーを飲んでたら、母が普通に歩いてきたので、その旨を伝える。 特に泣いたりはしない。 俺もだったけど。 実家近所の酒屋…民生委員とかもしている、昔からのなじみの家だ。に電話、葬儀屋とかも紹介してくれるに電話した。 病室に荷物を手近な袋にかっこみ、食堂に移動して待っている。 Nステに電話の転送があり、霊柩車があと45分で向かうとの連絡。 暫くして、病室から霊安室に移動して、世話してくれた看護士さん達と線香を上げる。 そしたらすぐに車が到着した。父母はそれに乗って、実家に向かった。 私は、いずれ来るだろう兄をまっていたが、3時頃になっても来ないから、一人自転車で帰った。 病室の荷物はテレビぐらいだったが、それは後から兄が回収し、自分のマンションに持ち帰る。

 私はと言うと、歯医者の予約があったのでそっちを優先・故人より生きてる俺の健康が大事ゆえ。 新札を終わって、ビデオのタイマーをセット。 礼服とか着換えをすこし持ってあわてて家を出る。 実家には練馬に居る伯母(父の妹)が来ていた。伯母は朝に母から電話をしていて、この日の夕方に見舞いに来るはずだったが、母が携帯番号を探せなくて、行き違いになっていた。 親父の遺体は座敷に寝かされ、一応の祭壇など作られて置かれていた。 去年の11月から施設に入り、すぐ肺炎で入院、何度か転院をして1年近くしてやっと帰宅となったなぁ。

夜は宅配寿司4人前を取り、親父に一応見せてから、叔母さんを含め4人で食べた。上手かった。